ジェノサイ耳鼻科

 めずらしく平日の午前が休講になったので耳鼻科の病院へ行くことにした。あの「張り紙」のある病院だ。

 平日の午前ならば客足もすいているだろうと思ったのは甘い見通しだった。診療開始時間と同時に入ったというのにすでに待合室は大混雑で受付には長蛇の列ができていた。私の名前が呼ばれるのは大分後になりそうだ。

 待合室にいた患者のほとんどが幼児かお年寄りだった。皆さんに知っておいて欲しいのが、病院の待合室で最も厄介な敵が幼児とお年寄りであるという事だ。知っての通り、大人しく素直に医者の診察を受ける幼児などこの国に存在しない。居るとすればそれは瀕死の状態か幼い心に傷を負った子供だけだ。お年寄りもここでは強敵である。彼らにとって病院とは一種の社交場。話し相手の居ない寂しさを紛らわせる数少ない場所なのだ。待合室ではやれ膝が悪いの心臓が弱っただの「悪いとこ自慢大会」が開催される。医者に対してはあれこれと自分の病状を訴える。終いには人生相談や世間話にまで裾が広がる事も少なくない。よって今日のコンディションは最悪の一言に尽きる。

 だが私は彼らを恨むことなどできない。なぜなら自分もかつては医者や看護婦に迷惑をかけまくった餓鬼の一人なのだし、将来自分もあのお年寄りのように身近に親身になって話を聞いてくれる人がいないということも大いにありうる。そう、恨まない。恨まないから泣いてないで早く診察室に入ってくれたまえ、少年。

 

 退屈であった。私の診察など普段十分もかからないので先に回して欲しいものだがそうも言えない。病院だから携帯も使用禁止だし、耳鼻科でイヤホン突っ込むのも気が引ける。することが全くない。病院には大抵本か雑誌がおいてあるものだがこの病院、ラインナップに偏りがありすぎる。置いてあるのは女性向けファッション誌、車の専門書、そして少女漫画だ。少女漫画は以前読もうとした事があるが、何故か4巻からしかない。しかも前半飛ばした事を抜きにしてもクソつまらなかった。仮に無人島に私とこの本だけ流れ着いても絶対に読むことはないと確信している。

 ふと、一人の幼児が私の前を(彼なりに)疾走していった。そして廊下の突き当たりのレントゲン室へ入ってしまった。かなり遅れて母親が探しに来る。どうやらあの小僧は生意気にも脱走を図ったようだ。私も保育園の頃はたびたび保育所を脱走したものであった。そのたびに親や保母さんは大迷惑したとか。そんな訳で私は一度もお遊戯に参加したことがない。そんな事情もあり、私はその保育所に居られなくなった。小さい頃は「引っ越し」というように教えられていたが、週4ペースで脱走する餓鬼何ぞ預かっておけないとか保育所が言ったのだろう。

 私は彼に少しだけ感情移入したがいまや汚い大人の端くれ、彼のお母さんに密告すべく立ち上がろうとしたがそんな気遣いは無用だった。彼はしきりにレントゲン室から頭を出して追手の反応を伺っていたのだった。彼の短い逃走劇は終わった。だが母親の背中で連行されていく彼の顔は不思議と幸せそうだった。あばよ、少年。だがこれに味をしめた彼はこの後4回に渡る逃走を企てるのであった。

 すでに一時間経過していた。暇を利用して作成していた「萌える男子ランキング」もすでにベスト30まで完成していた。やっぱり一位は「魔王物語物語」のルドルフで堅いね。グラハムと高坂京介をのどちらを上にするかは結構迷ったけれど。20以降になるとH×Hの梟君や及川君もランクインしてきてかなりごった煮状態だった。

 私はまたあの張り紙を見ていた。あの張り紙に啓発されて病院に行こうと思うためにはまずこの病院に来なければならない。そんな自己矛盾について考えているとさらに一時間が経過していた。診察室から悲鳴が聞こえる。まだまだ時間がかかりそうだ。することのない一時間は苦痛である。はたと、かのアインシュタイン相対性理論の説明をする際、「好きな女の子と話している一時間と焼けた鉄を握っての一時間は感じ方が違う。」といった事を思い出した。成程、確かにそうだ。ふと思った。好きな女の子に焼けた鉄で苛まれる一時間はどうなのだろう。人にもよると思うが、きっと飛ぶように早いのだろう。延長をお願いしたいな。そんな事をうきうき考えているときに名前を呼ばれたものだから大分焦った。

 ・・・・・・・・・・・・・

 僕の診察は二分だった。誇張でなくリアルに二分だった。女医さんに喉見るときの鉄の棒口に突っ込まれただけで僕のプレイ時間は終了した。延長お願いします、と言いたかった。

 流れ作業で私は診察室を追い出された。この二時間なんだったのだろう。この間に感じたことを小屋に書けば共感得られないだろうかとちょっと期待したが運悪く将軍と投稿がかぶってしまった。またノーコメで流されるんだろうな、と考えていると憂鬱になってきた。

 ちょっと離れた薬局で薬を貰い、今日は小屋に何を書きこもうかと考えながら紳士はとぼとぼと家路へつくのであった。