好み、それは心の状態の反映そのもの

異性への好み、それは時として人の個性を形成し、人をより独自にするためのものでもある。
やはり女性は以下のことにかぎる。
匂い、脚、バランス。
匂い、これはいうまでもあるまい。
基本的には女性は良い香りがする。でもその匂いには2種類あって、人工的なもの、そして人が本来よりもっている匂い。
やはりいるのである、シャンプーの匂いがバンバンするひとが。それはダメである。
自分本来の匂いでシャンプーや化粧の匂いと絶妙にかみ合わさり、極上のものへと深化したものこそ一番。
そして脚。
これは後述のバランスと深く関係する。
脚は人の身長の約半分をしめるもので、脚によって人は5割決まると言っても過言ではない。
綺麗な脚ほど、そのひとを美しくする。歩き方、座り方、そんなものは脚が綺麗な人ほど美しく、
曲がっていたり太かったり、見るに絶えないようなものは大抵動作全般が荒いのである。
バランス、つまり総合的なもの。
たとえ脚がよくても、それに合った顔ではないと評価されないのだ。
ここで重要なのは、マッチした顔であって、可愛いや美しい顔ではないということ。
ここにあまり可愛い顔でないのにモテるひとの秘密がある。
バランスというのは生物にとってはとても重要なものである。例えば食生活、自然の食物連鎖などどこかに偏っていては不完全なものがある。
そしてそれは人の外見にもあてはまるのだ。
とにかく痩せればいい、とにかく整形すればいい、そんな考えで愚行にはしるものが絶えない。
一点だけを伸ばしてもダメなのだ。
たとえ前述の脚が短くても、それに見合った体や顔を持っていると、自然異性から好かれる。
見合った、というと語弊があるかもしれない。