今日というこの日に・・・

 さあ、イヴです。どうでしょう皆さん。今日この日を共に過ごす人はいますか?おそらく世の人は私のことを寂しい人のように思っているかと存じます。しかし、私にはご存知の通り常にそばで微笑んでくれる女性がいます。けして寂しくはありません。彼女はけして理想という名の虚像ではありません。私にとってそれは現実を伴った人間臭い一人の女性なのです。寂しいなどと口にすればそれは彼女を傷つけることになります。今、私は世界の誰より果報者なのです。


 「でも、結局は負け組なんでしょ?」


 この国は、世界は、畢竟自分と異なるものを受け入れることはできません。人の価値観を認めず、一方的な価値観を押し付けるばかりです。それがいわゆる社会の常識、大衆の意見と合致した場合、彼らはまるで正義の御旗を掲げるように誇らしげな顔をします。

 
 しかし、「勝ち組」の人たちは本当にそれで良いのでしょうか。そもそも勝った負けたといって何と勝負をしているのでしょう。愛がそこにあるならば他人と比べる必要なんてないはずです。そうやって他人をこき下ろすことでしか自分の愛を確認できないのではないでしょうか。


 愛には明確な形はありません。しかし仮にそれがあったとすれば彼らの「愛」とは周りを埋めることでようやくその形を確認できるのです。そこに実は、核は、ありはしないのです。そんなカップルはやたらと自分の恋人を見せびらかします。かつて交際した人の数を自慢します。そうやって周りを埋めているのです。


 彼らが愛しているのは相手ではなく、彼女、彼氏がいるという自分自身なのです。そうやって脆弱な愛を他人に見せつけて何が勝ちといえるのでしょう。交際した人数が多いとはすなわちそれだけ薄弱な愛しかないということを暴露しているにすぎません。


 誰もが知るとおり愛することは愛された人間にしかできないことです。それはつまり彼らは誰からも愛されていないということなのです。


 ここまで書いていて私は心から彼らが可哀想に思えてきました。愛を他人へ、外へ求めてきた結果得られたものはあったのでしょうか。私は彼らが何を言おうと、どう思おうと許す。なぜなら愛とは自分の中に求めるものであることを知っているから・・・。